放送作曲家 三木鶏郎 生誕100年
先日、発売されたばかりの中山千夏の自伝「芸能人の帽子」を読んでいたら、冗談音楽の開祖・三木鶏郎に関する印象的な文章があった。放送作家と言うけれど、放送作曲家とは言わない。けれど、そう呼びたくなるのが、三木鶏郎だと。 今年は、三木鶏郎の生誕百周年。それを記念して、本
誌編集長・濱田高志が手がけた企画が幾つか実現される。まずひとつは71年5月にLPレコードで発売され、94年にCD化されたものの長らく廃盤になっていた「三木鶏郎ソングブック」の再発だ。同作品は和田誠が企画・構成、八木正生が編曲し、由紀さおりとデューク・エイセスが歌唱した
好盤である。彼のデビュー作である「南の風に消えちゃった」から、大ヒット曲「ぼくは特急の機関車で」や「田舎のバス」等を収録し、その名曲の数々に新しい息吹を吹き込んでいる。 それにしても驚くのは、その歌詞とサウンドのモダンさだ。50年代の戦後間もない頃に作られた楽曲が中心なのだが、今もってまったく古びていない。そして、「シュシュポポ」や「チカチカ」などの擬音・擬態語の使い方が印象的で、後年、数々の有名なCM音楽を生み出したルーツがここにある。最近はCM音楽で印象的な人は少ないが、少し前だと「ポリンキー」「ドンタコス」等のCMで名を馳せたプランナーの佐藤雅彦などは間違いなく鶏郎の影響下にあると言って過言ではないだろう。 そして、もうひとつは12
月23日の午前9時から文化放送にてオンエアされる特別番組「三木鶏郎の世界」。同番組は、本誌編集長と土屋光弘が構成し、泉麻人が出演する「てりとりぃ」同人による企画だ。文化放送に残されている「みんなでやろう冗談音楽」、「トリロー・コーラス」の貴重な音源やCMソング、そして、それらの制作秘話も取り上げる。また、永六輔、野坂昭如、伊藤アキラ、桜井順
など、戦後の日本放送芸能史を担った「鶏郎門下生」の方々のコメントも放送される予定で、まさに鶏郎の世界を十二分に楽しめる内容である。番組と連動した特設サイトも毎週更新中でこちらも必見! ある本で、笑いやパロディは国民の知的バロメーターである、と書いてあったが、良質な笑いは、健全な社会から生まれるものである。三木鶏郎の放送のなかで生み出した笑い、諧謔精神を今こそ、再評価するべきではないだろうか。まあ、そんな鯱鉾ばったことを言わなくても、彼の創ったモダンで明るい曲を聴くだけで、心がウキウキしてくる。なんだか動脈硬化を起こしているような今の日本に、必要なのは彼の様な作品ではないのかしらん。 (星 健一=会社員)
鳩笛ならそか 〜三木鶏郎が見出した若き才能
昭和31年、開局5周年を迎えた大阪・朝日放送(ABC)は、記念企画「ホームソング・コンクール」を開催した。オリジナル楽曲を制作・放送するラジオ番組「ABCホームソング」で一般公募を行い、まず歌詞の入賞作を選定。つづいて、その詞を課題に曲が募集された。大卒初任給が1
万円の当時、賞金は破格の5万円。「ホームソング・コンサート」(11月26日、朝日会館)で発表された入賞曲「鳩笛ならそか」は、2012年発売のCD『ABCホームソング大全』にも収められている。演奏時間2分、どちらかと言えば地味な印象の小曲である。しかし、この曲に関わった
4人にとっては、それぞれに忘れ難い、思い出の曲となったに違いない。発表コンサートのプログラムに掲載された各人のコメントとともに紹介しよう。(カッコ内数字は当時の年齢) まず、作詞の吉岡治(22)。十代からサトウ・ハチローに師事、詩・童謡を書きながら、児童劇団を主宰していた。すでに新聞・雑誌の童謡募集で入選歴があり、今回は入賞作を含め5篇をエントリー。病気療養後、心機一転の応募であった。「白秋、八十、ハチローに一歩でも近づくことが一生の目的です。小さい世界にとぢこもらず、少々消化不良を起こしてでも、手当たり次第にパクついて、自分の栄養にしたいといつも思っております」 かわって、作曲の越部信義(23)は、東京藝大作曲科4年に在学中。「感じの
良い、気のきいた音楽が私たちの身近にもっと次々と生まれて来たとしたら、そしてそれを誰もが揃って楽しむ事が出来たとしたら、毎日はもっともっと住みよくなるのではないでしょうか?(中略)聞く人も、作る自分も一緒になって楽しめる音楽をこれからも書いていけたら…と思っています」メロディーとともに、その編曲が高く評価されての入賞だった。 そして、もう一人、作曲の桜井順(22)。「5万円欲しかった」と応募動機を語る、慶應大学経済学部4年生。「今後やりたいものは沢山ありますが、ラジオ・ドラマの音楽、舞台音楽など劇音楽の分野に特に食慾を感じます」このとき、来春の商社就職が決まっていた彼に、次点ながら「奨励賞」が与えられたのは、審査員・三木鶏郎(42)の
強い推薦によるものだった。 「新らしい才能に逢うのはうれしいものである」という書き出しで始まる紹介文の中で、三木鶏郎は「ぼくみたいに、法学部卒業が百八十度の転回をして作曲家志望の冗談コースをとった人間としては、同君のように経済学部にいながら之だけの作品を書きあげた所に恐ろしく人間的興味を感じるのである」と親近感を表明。「若し音楽の才能がのばされたら現在音楽しかしらない音楽家の多くが行きづまっている壁を破る方向に進む可能性がある(中略)明日の日本の音楽のベースを作る大切な芽である。頼もしき次第である」と絶賛、「以上ここに前途を祝して提灯をもつ次第」と結んでいる。 受賞者3人は、ともに三木鶏郎の「冗談工房」に参加。その後の歩みは、ここ
で改めて振り返るまでもないだろう。才能を発掘した三木鶏郎は、彼らの活躍を見守りながら平成6年に他界。そして、吉岡治は4年前、越部信義も先月21日に世を去った。残る一人、桜井順については、「てりとりぃ」読者の皆さん、ご存知の通り。桜井さん、これからも、お元気で。 なお、放送では和田京子が歌った「鳩笛ならそか」は、6年後、昭和37年に真理ヨシコが再録音、日本コロムビアから発売された。(文中敬称略) (吉住公男=ラジオ番組制作) ーーーーーーーーーーーー ●写真上 真理ヨシコ「鳩笛ならそか」(62年、日本コロムビア BK3002)●写真下 左から吉岡治、越部信義、桜井順(コンサート・プログラムより)
『ディスコ歌謡夜の番外地』2タイトルが発売!
70年代から80年代にかけてのディスコ・ブームに乗って大量発生した国内産ディスコ・ソングのコンピレーション『ディスコ歌謡夜の番外地~卑弥呼~』と『ディスコ歌謡夜の番外地~抱いて、火をつけて~』が2枚同時リリースされた。ダフト・パンクがディスコ・ミュージックに対するリ
スペクトを表したアルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』を2013年にリリース。グラミー賞受賞など大ヒットとなって、ディスコ・ミュージックへのリバイバルが世界的に盛り上がり、近年さまざまなスタイルのディスコ/ブギーのコンピレーションが多数リリースされてきた。その
決定版といえるのが本コンピと言えるだろう。2001年にPーVINEからリリースされた『ディスコ歌謡コレクション』シリーズとは選曲のダブりは無し。パッショナータ、トミー・ザ・ビッチ、サンタ・クララなど、現在入手しにくい音源の収録が嬉しい。 ディスコ・ミュージックのサウンド面の最大の特徴と言えるのが、スクエアな演奏を人力でやっている点だ(一部打ち込み楽曲あり)。ヒップホップやEDMはルーツにブラック・ミュージックを持つダンス・ミュージックだが、ディスコとの大きな違いに人力グルーヴという部分が大きい。とはいえ、人力でありながら没個性な(匿名性の強い)演奏が特徴なため、プレイヤーの個性を消した演奏を求められる。そういった意味では本コンピ収録曲でも
最も古くリリースされた「恋のチャンス」(72年)は、思い切り武部秀明(b)と田中清司(d)臭のするリズム隊で、演奏に個性がダダ漏れしている。おそらくまだディスコという概念では無く、ファンク・ミュージックとしてのスタンスでの演奏だったのだろう。「ロコモーション」(74年)
や「サヨナラは出発の言葉」(75年)でもまだプレイヤーの個性が見え隠れするが、76~76年の リリース作品になると匿名性のある演奏に変化している。「抱いて、火をつけて」(78年)や「卑弥呼」(79年)では、ベースのオクターブ・ラインが登場。「ディスコと言えばコレ」というサウンド
を決定づけるフレーズ。逆にディスコ以外ではあまり聴くことの無いフレーズだ。 匿名性の強い演奏ということは、鋭いタイム感と繊細なピッチ感を求められる。同時期に流行したフュージョンと同じく高度な演奏スキルを要するジャンルといえるが、何故かフュージョンよりは軽んじで扱われてしまうのは残念。そうなると、リューベン&カンパニー「サンチャゴ・ラヴァー」やローズマリー「恋は火の鳥」などはスタジオ・プレイヤーによる演奏なのはバレバレだが(少なくともリズム隊は/シングル「薔薇の嵐」や「ブッシュ・パイロット」などでの辻野リューベンのプレイはもっと人間味溢れたグルーヴ感)、逆に高度なスキルの演奏集として聴くのも一趣だ。 (ガモウユウイチ=音楽ライター/ベーシスト)
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