2015年11月27日(金)

 
11月28日&29日「青山レコード祭り」が開催!


 誰もやっていないことが大好きな性分の私がまたやらかします。その名は「青山レコード祭り」。
 約3ヶ月前私が仕事をしているワーナーミュージック・ジャパンでの会議での話。ある社員が休日の会社の大会議室を使用してファン・イヴェントを行った旨をレポート。普段ボーっとこのような話をやり過ごす私が珍しく反応した。休日、会社、青山一丁目、会場費不要・・・。地代の高い青山で土日の会社はもぬけの殻、実にもったいない。さっき斜め読みした雑誌『ANALOG』誌最新号の記事と結びついた。そこには約20年間池袋で同業者を集めレコード市を定期的に開催している中古レコード店の店主がインタビューに答えていた。即座にそのレコード市をここ青山に持って来る事が出来ないかを考え

た。会議後の午後その店主、だるまやの萩原さんに電話を入れ次の日の午後会いに行く事にした。
 こういう事になると私の

動きは速い。萩原さんは実に頭脳明晰で私の野望をすぐ理解してくれトントン拍子で話がまとまった。開催日を11月28と29日の土日、人がごった返す青山いちょう祭りに合わせた。
 こうしてレコード会社本社の中で中古レコードを売るという、前代未聞のイヴェントが実現の運びとなった。嬉しい。
 ラッキーだったのは萩原さんが個人的にイギリスのレコード・フリー・マーケットに精通していて、アメリカでの同様な催しに1987年から慣れ親しんで来た私と共通認識が持てた事だ。
 欧米のレコード市はレコード好きのオーガナイザーがホテルの宴会場や大学の駐車所など休日の朝から午後にかけて借り、実在するレコード店と個人が売りたいレコードを持ち込んで販

売するレコード好きにはたまらないイヴェント。90年代の前半ロサンジェルスに住んでいた私は月頭と末に開催される近郊のフリー・マーケットにはほぼ皆勤した。値段そのものが安く、一度に大量の知らない無いレコードを見る事が好きだった。初めて出会う同好の士と音楽の話をするのも楽しかった。
 「青山レコード祭り」は中古レコードの販売だけでなく同時に試聴室でイヴェントも行う。土曜日は和久井光司さんの「ワーナー・パイオニア8000番台聞き倒し」、日曜日は「欧州スモール・コンボで聞くモノラル・ワールド」。共に入場無料。奥さんはいちょう祭り、もちろん貴殿はレコード祭り。ワッショイ、ワッショイ。
(宮治淳一=音楽資料館、ブランディン管理人)



昭和30年代が甦る漫画『昭和の神田っ子』


 今年の3月末まで「赤旗」日曜版に連載されていた漫画「昭和の神田っ子」が単行本になって刊行された。昭和30年代の生活が描かれた漫画といえば、真っ先に挙げられるのが西岸良平氏の「三丁目の夕日」であるが、ファンタジー色の濃い同作に対し、こちらはもっとリアルなドキュメンタリー漫画である。作者のうゑださと士さんは昭和23年に神田で生まれた由。つまり小学生に入って間もない頃から、ハイティーンまでの

一番多感な時期に、東京の下町で昭和30年代を過ごしたことになる。第一次ベビーブームに誕生した、ジャスト団塊の世代。まだまだ物が充分ではなかったとはいえ、日本の高度経済成長時代を存分に体感出来たこの世代の方々がうらやましくて仕方がない。
 銭湯にダルマストーブに紙芝居、そして給食の脱脂粉乳と、東京オリンピックの頃にようやく生まれた自分には惜しくも体験出来なかったものが次々と登場す

る。中でも最も興味深いのが「都電」である。現在も荒川線のみが残っているものの、それ以外の路線は40年代半ばまでに廃止されているため、銀座や新宿といった街中を自動車と並行して走る都電の光景を実際に見ることはもう二度と叶わない。「昭和を走ったチンチン電車」の回では、その都電への郷愁がたっぷりと描かれており、間に合わなかった世代にとって、教えられることが多々ある。
 私事ながら、家業の珈琲専門店を神田須田町で営んでいたことがあり、子供の頃からこの界隈は馴染み深い。靖国通りと中央通りの交わった須田町は10系統が集合する停留所がある、正に都電の要所であった。都内でも有数の非常に広い交差点にその名残を見ることが出来る。漫画にはその風景も描かれており、交差点

の一角にあった「フルーツパーラー万惣」が懐かしい。名物のホットケーキで知られたが、数年前に惜しくも閉店してしまった。そんなことを思っていたら、同じビルにあった中華料理店「五十番」で両親とよく食事をした記憶や、隣にあった古いビルに地下鉄銀座線への出入り口があり、降りたところにダンスホールの洒落た扉があったり、駅まで続く地下道に帽子屋さんや靴屋さんなどの小さな商店が軒を連ねていた構図が甦ってきた。もう失われて久しい風景ながら、意外と最近まで残っていたのではないかと思う。
 どんなに過去の資料を漁って研究・分析しようとも、写真や映像から得られる当時の様子には限りがあり、実体験に勝るものは絶対にない。時代の空気感や匂いまでを再現することは不可

能だからだ。「昭和の神田っ子」は、絶妙の場所と時代に生まれ育った立場から、昭和の文化を伝えてくれる貴重な見聞録。子供の眼から見た30年代初頭の東京の下町風景を追体験させてくれる恰好の書となっている。〝昔はよかった〟などと安易に言うのは無責任かもしれないが、少なくともこの漫画を読めば、純粋にそんな想いに浸ることが出来る。今よりもゆっくりと時間が流れ、物よりも心の方が豊かな、やはりよき時代であったのではなかろうか。
(鈴木啓之=アーカイヴァー)
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◎昭和30年代の7ページオムニバス漫画15作を収録。『昭和の神田っ子 』うゑださと士・著/愛育社 ・刊/1080円/発売中/著者の公式HPはこちら



居酒屋散歩20《神楽坂・うおさん》


 神楽坂の店の紹介は今回で4軒目。それだけこの街には良い飲食店が多いということだろう。また、この界隈には仕事関連の方が、偶然なのかいたということもある。ここ10年ほどを見ただけでも、復刻漫画をやっていた時の装丁家・鈴木一誌さん。彼はこの街に何十年も住んでいるので、いろいろな店を教えてもらっ

た。5年ほど前には、仲よくしていた編プロが引っ越してきた。ここの社長は、深夜でも呼び出すと気軽に出てきて付き合ってくれる。頻繁ではないが、今でも会うと梯子酒をする仲間だ。さらに、今年の夏に復刻漫画の画像処理をしてくれていた工房の事務所の移転があった。
 先日行った「うおさん」

での会は、このデザイン工房の遅い引っ越し祝い。実は引っ越した当時、旧事務所のあった池袋の店で(このコラム18回で紹介した「何駄感駄」)お祝いをすでにやっている。この工房との付き合いは、復刻の最初からなので10年以上になる。手間のかかる汚い雑誌の画像処理もやってくれたし、手塚治虫の貴重な発掘原稿の処理を事故もなく済ませてくれた。一番の思い出は、手塚先生の単行本デビュー作にして現代漫画の原点と言われている「新寶島」の復刻だ。当時、中野の古書店で五百万円の古書価格の噂のあった本で、借用が24時間しか許されていない中で、ほぼ徹夜の作業をしてくれた。御蔭で漫画史上の貴重な復刻をすることが出来た。そのため池袋の会では、手塚プロの資料室長の森さんも参加してく

れた。ちなみにこの工房で「月刊てりとりぃ」の製本作業の援助をしてくれているので濱田編集長もいて、楽しい宴会だった。
 今回の神楽坂での会は、工房の社長から神楽坂の店を紹介してというので、再度お祝いの会になった。当日は社長と社員のデザイナー(と言っても社長の娘)が、事務所から毘沙門天の前にある「うおさん」まで徒歩で来た。
 約束の時間に来たのは社長一人で、娘は少し遅れるという。2人で店に入り席に座るとすぐビールを頼んだ。彼はビールが大好きで、一晩中でも飲んでいる。お通しとビールが同時に来て、ビールをぐいーっと飲んでから箸をとった。この店は単品でも頼めるが、予算を言うとそれなりに見繕って料理を出してくれるので便利だ。全部で6~8品ほど

の料理になる。当然だが季節に応じたものを出してくれるのがうれしい。前回来たときは、鮪の兜煮と大ぶりの秋刀魚の塩焼きが酒のピッチを上げてくれた。盛り付けの量も手ごろで、少量多品種をもっとうにしている身としてはぴったりの店だ。この日も適量の料理を摘みながら話をしていたら、ちょうど刺身になった時に娘が入ってきた。彼女が来てくれたので、こちらはビールを日本酒に変えて刺身を味わって、その後はワインを頼んだ。
 料理は、寒くなって来たためだろう暖かいものが続いた。一つは柳川鍋だが、ドジョウではなく牛肉だったのでその意外性に少し驚いたが、ゴボウと卵を絡めた牛肉はえらくワインにあった。その後には鱈ちり鍋で、1人前ずつ出してくれた。淡白な鱈を味わって、

さらにコクのある白子をワインと共に口に入れて、至福のひと時を過ごした。
 工房の社長は65歳でもう世代交代を考える時期だ。そんな話を娘にして、今後の会社運営にエールを送ってお開きにした。

 店を出て左に坂を下りてゆくと、すぐ「五十番」がある。ここの肉まんは絶品でいつも立ち寄る。その日もアンマン、五目、カレーの3種を購入して帰ってきた。
(川村寛=編集者)