


誰もやっていないことが大好きな性分の私がまたやらかします。その名は「青山レコード祭り」。 約3ヶ月前私が仕事をしているワーナーミュージック・ジャパンでの会議での話。ある社員が休日の会社の大会議室を使用してファン・イヴェントを行った旨をレポート。普段ボーっとこのような話をやり過ごす私が珍しく反応した。休日、会社、青山一丁目、会場費不要・・・。地代の高い青山で土日の会社はもぬけの殻、実にもったいない。さっき斜め読みした雑誌『ANALOG』誌最新号の記事と結びついた。そこには約20年間池袋で同業者を集めレコード市を定期的に開催している中古レコード店の店主がインタビューに答えていた。即座にそのレコード市をここ青山に持って来る事が出来ないかを考え

た。会議後の午後その店主、だるまやの萩原さんに電話を入れ次の日の午後会いに行く事にした。 こういう事になると私の
動きは速い。萩原さんは実に頭脳明晰で私の野望をすぐ理解してくれトントン拍子で話がまとまった。開催日を11月28と29日の土日、人がごった返す青山いちょう祭りに合わせた。 こうしてレコード会社本社の中で中古レコードを売るという、前代未聞のイヴェントが実現の運びとなった。嬉しい。 ラッキーだったのは萩原さんが個人的にイギリスのレコード・フリー・マーケットに精通していて、アメリカでの同様な催しに1987年から慣れ親しんで来た私と共通認識が持てた事だ。 欧米のレコード市はレコード好きのオーガナイザーがホテルの宴会場や大学の駐車所など休日の朝から午後にかけて借り、実在するレコード店と個人が売りたいレコードを持ち込んで販
売するレコード好きにはたまらないイヴェント。90年代の前半ロサンジェルスに住んでいた私は月頭と末に開催される近郊のフリー・マーケットにはほぼ皆勤した。値段そのものが安く、一度に大量の知らない無いレコードを見る事が好きだった。初めて出会う同好の士と音楽の話をするのも楽しかった。 「青山レコード祭り」は中古レコードの販売だけでなく同時に試聴室でイヴェントも行う。土曜日は和久井光司さんの「ワーナー・パイオニア8000番台聞き倒し」、日曜日は「欧州スモール・コンボで聞くモノラル・ワールド」。共に入場無料。奥さんはいちょう祭り、もちろん貴殿はレコード祭り。ワッショイ、ワッショイ。 (宮治淳一=音楽資料館、ブランディン管理人)

今年の3月末まで「赤旗」日曜版に連載されていた漫画「昭和の神田っ子」が単行本になって刊行された。昭和30年代の生活が描かれた漫画といえば、真っ先に挙げられるのが西岸良平氏の「三丁目の夕日」であるが、ファンタジー色の濃い同作に対し、こちらはもっとリアルなドキュメンタリー漫画である。作者のうゑださと士さんは昭和23年に神田で生まれた由。つまり小学生に入って間もない頃から、ハイティーンまでの
一番多感な時期に、東京の下町で昭和30年代を過ごしたことになる。第一次ベビーブームに誕生した、ジャスト団塊の世代。まだまだ物が充分ではなかったとはいえ、日本の高度経済成長時代を存分に体感出来たこの世代の方々がうらやましくて仕方がない。 銭湯にダルマストーブに紙芝居、そして給食の脱脂粉乳と、東京オリンピックの頃にようやく生まれた自分には惜しくも体験出来なかったものが次々と登場す
る。中でも最も興味深いのが「都電」である。現在も荒川線のみが残っているものの、それ以外の路線は40年代半ばまでに廃止されているため、銀座や新宿といった街中を自動車と並行して走る都電の光景を実際に見ることはもう二度と叶わない。「昭和を走ったチンチン電車」の回では、その都電への郷愁がたっぷりと描かれており、間に合わなかった世代にとって、教えられることが多々ある。 私事ながら、家業の珈琲専門店を神田須田町で営んでいたことがあり、子供の頃からこの界隈は馴染み深い。靖国通りと中央通りの交わった須田町は10系統が集合する停留所がある、正に都電の要所であった。都内でも有数の非常に広い交差点にその名残を見ることが出来る。漫画にはその風景も描かれており、交差点
の一角にあった「フルーツパーラー万惣」が懐かしい。名物のホットケーキで知られたが、数年前に惜しくも閉店してしまった。そんなことを思っていたら、同じビルにあった中華料理店「五十番」で両親とよく食事をした記憶や、隣にあった古いビルに地下鉄銀座線への出入り口があり、降りたところにダンスホールの洒落た扉があったり、駅まで続く地下道に帽子屋さんや靴屋さんなどの小さな商店が軒を連ねていた構図が甦ってきた。もう失われて久しい風景ながら、意外と最近まで残っていたのではないかと思う。 どんなに過去の資料を漁って研究・分析しようとも、写真や映像から得られる当時の様子には限りがあり、実体験に勝るものは絶対にない。時代の空気感や匂いまでを再現することは不可
能だからだ。「昭和の神田っ子」は、絶妙の場所と時代に生まれ育った立場から、昭和の文化を伝えてくれる貴重な見聞録。子供の眼から見た30年代初頭の東京の下町風景を追体験させてくれる恰好の書となっている。〝昔はよかった〟などと安易に言うのは無責任かもしれないが、少なくともこの漫画を読めば、純粋にそんな想いに浸ることが出来る。今よりもゆっくりと時間が流れ、物よりも心の方が豊かな、やはりよき時代であったのではなかろうか。 (鈴木啓之=アーカイヴァー) ーーーーーーーーーーーー ◎昭和30年代の7ページオムニバス漫画15作を収録。『昭和の神田っ子 』うゑださと士・著/愛育社 ・刊/1080円/発売中/著者の公式HPはこちら。

神楽坂の店の紹介は今回で4軒目。それだけこの街には良い飲食店が多いということだろう。また、この界隈には仕事関連の方が、偶然なのかいたということもある。ここ10年ほどを見ただけでも、復刻漫画をやっていた時の装丁家・鈴木一誌さん。彼はこの街に何十年も住んでいるので、いろいろな店を教えてもらっ
た。5年ほど前には、仲よくしていた編プロが引っ越してきた。ここの社長は、深夜でも呼び出すと気軽に出てきて付き合ってくれる。頻繁ではないが、今でも会うと梯子酒をする仲間だ。さらに、今年の夏に復刻漫画の画像処理をしてくれていた工房の事務所の移転があった。 先日行った「うおさん」
での会は、このデザイン工房の遅い引っ越し祝い。実は引っ越した当時、旧事務所のあった池袋の店で(このコラム18回で紹介した「何駄感駄」)お祝いをすでにやっている。この工房との付き合いは、復刻の最初からなので10年以上になる。手間のかかる汚い雑誌の画像処理もやってくれたし、手塚治虫の貴重な発掘原稿の処理を事故もなく済ませてくれた。一番の思い出は、手塚先生の単行本デビュー作にして現代漫画の原点と言われている「新寶島」の復刻だ。当時、中野の古書店で五百万円の古書価格の噂のあった本で、借用が24時間しか許されていない中で、ほぼ徹夜の作業をしてくれた。御蔭で漫画史上の貴重な復刻をすることが出来た。そのため池袋の会では、手塚プロの資料室長の森さんも参加してく
れた。ちなみにこの工房で「月刊てりとりぃ」の製本作業の援助をしてくれているので濱田編集長もいて、楽しい宴会だった。 今回の神楽坂での会は、工房の社長から神楽坂の店を紹介してというので、再度お祝いの会になった。当日は社長と社員のデザイナー(と言っても社長の娘)が、事務所から毘沙門天の前にある「うおさん」まで徒歩で来た。 約束の時間に来たのは社長一人で、娘は少し遅れるという。2人で店に入り席に座るとすぐビールを頼んだ。彼はビールが大好きで、一晩中でも飲んでいる。お通しとビールが同時に来て、ビールをぐいーっと飲んでから箸をとった。この店は単品でも頼めるが、予算を言うとそれなりに見繕って料理を出してくれるので便利だ。全部で6~8品ほど
の料理になる。当然だが季節に応じたものを出してくれるのがうれしい。前回来たときは、鮪の兜煮と大ぶりの秋刀魚の塩焼きが酒のピッチを上げてくれた。盛り付けの量も手ごろで、少量多品種をもっとうにしている身としてはぴったりの店だ。この日も適量の料理を摘みながら話をしていたら、ちょうど刺身になった時に娘が入ってきた。彼女が来てくれたので、こちらはビールを日本酒に変えて刺身を味わって、その後はワインを頼んだ。 料理は、寒くなって来たためだろう暖かいものが続いた。一つは柳川鍋だが、ドジョウではなく牛肉だったのでその意外性に少し驚いたが、ゴボウと卵を絡めた牛肉はえらくワインにあった。その後には鱈ちり鍋で、1人前ずつ出してくれた。淡白な鱈を味わって、

さらにコクのある白子をワインと共に口に入れて、至福のひと時を過ごした。 工房の社長は65歳でもう世代交代を考える時期だ。そんな話を娘にして、今後の会社運営にエールを送ってお開きにした。
店を出て左に坂を下りてゆくと、すぐ「五十番」がある。ここの肉まんは絶品でいつも立ち寄る。その日もアンマン、五目、カレーの3種を購入して帰ってきた。 (川村寛=編集者)

アナログ・ファンにとってとてつもなく嬉しい、励みになる本が出る。これは結構なニュースだと思う。 昨年の今頃エイロン・パスなるフォトグラファーからメールをもらった。シーラ・バーゲルの紹介だという。シーラは10年来の友人。ニューヨークの出身で高校卒業後渡英、そこで60Sガール・グループ・サウンドにはまり、ついには奥村チヨなどのジャパニーズ・ガールにまでたどりついた若き女性レコード・コレクターだ。日本盤を買いに何度も来日している筋金入りマニアからの紹介とあっては会わないわけにはいかない。 パス氏はニューヨークに住む写真家兼レコード・コレクター。世界のレコード・マニアのコレクションの写真を撮りその模様を自身のHP『DUST&GROOVES』で展開している。
覗いてみるとそこには世界の尋常ではない、個性的なレコードの塊とその持ち主が各々独自な美しさを放っている姿が掲載されている。なんでもパス氏は「一週間以内に東京に行く。アメリカ、欧州以外のレコード・コレクションを撮影したい。ついては私の家に来て取材をしたい」と言う。あまりに突然。でもこういうことはだいたいいきなりやってくる。 彼が成田に着いたその日の晩上野で会い居酒屋で打ち合わせ。翌日午前中に一人で東海道線に乗って茅ヶ崎にやってきた。私のレコード・ライブラリー「ブランディン」に着くなりテキパキと写真を撮り出し私を撮影中にインタビュー。最初に買ったレコードはどれか。コレクションの中心は何か。自慢のレコードを持ってくれ。なるべく欧米の
コレクターが知らないレコードがいい。注文は多い。『ナイアガラ・トライアングル』、キャロルのファースト・アルバムを取り出す。約1時間の撮影時間はあっという間に過ぎランチに寿司を食べ、電車で次の目的地高円寺のレコード店に案内した。夜は渋谷のアナログ・バーでビールを飲んだ。おそらく彼は日本にいる3日間5〜6人を取材したはずだ。京都にも行ったといっていた。 昨年9月NYに行ったとき彼に会おうとしたが生憎彼はクルマで米国南部を取材ツアー中でかなわなかった。そして今月いきなりパス氏からメールが来た。本ができるよ。君も載ってるよ。それはありがとう。うちのレコードが喜ぶよ。早く見たい! (宮治淳一=音楽資料館『ブランディン』管理人)DUST & GROOVES HP(http://www.dustandgrooves.com/sheila-burgel-brooklyn-ny/)では、本書の制作過程を収めた動画も閲覧できる。
音にはまり込んでいくと、アレンジャー名や演奏者名でレコードやCDを購入するようになってきます。そんな経験ある方も多いのではないでしょうか。筆者もその一人ですが、昭和40年代の歌謡曲やニューミュージックのレコードでは、アレンジャー名は表記されていても演奏者名はまず表記されていません。素晴らしい演奏を聴いても演奏者クレジットが無い場合は、ちょっとがっかりしてしまうのですが、幸いにも当時のスタジオ・プレイヤーたちは、一人ひとりの演奏が個性的です。そのため、クレジットが無くとも推測できることが多いのです。筆者はベースをプレイするので、ベーシストの聴き分けの方法をお伝えしましょう。 一番推測しやすいのは、昭和40年代の作品です。何よりスタジオ・プレイヤー

自体も少なく、トップ・クラスのベーシストは10名ほどですので、それぞれの特徴が解かり、また編曲家によってだいたい起用するミュージシャンは固定されているので、編曲家との関係もわかればおのずと容易に推測できます。なお、60年代から70年代末までに活躍したスタジオ・ミュージシャン180余名を「ギターマガジン」2013年11月号(リットーミュージック)にリスト化して掲載しましたので、ご参考下さい。 当時の代表的ベーシストのひとり、江藤勲のピッキングはかなり固めの音です。ピックをピック・アップに叩きつけるようなパワフル
なピッキングのため、パーカッシヴなサウンドも包括しており、固めでありながら弾むようなトーンです。似たトーンに寺川正興がいます。そもそも、江藤氏は寺川氏にピック弾を指南したので、ピック弾きの際にトーンが似るのは至極当然でしょう。ただ、パーカッシヴなトーンが若干ですが少なく感じます。また、フレージングの特徴として、高フレットへのグリスを多用します。寺川氏のこの奏法はエレベーター奏法といわれ一番の特徴となっています。 では実際に推測してみましょう。テキストにコンピ『ソフトロック・ドライヴィン〜恋人中心世界』(東芝EMI/現ユニバーサル・ミュージック)を取り上げます。収録曲の中で、江藤勲がプレイしていると思われのが、井口典子&ヤン

グ101「恋人中心世界」、同「朝が来た」、ザ・ワイルド・ワンズ「若い世界」。ワイルド・ワンズは島英二がベーシストですが、おそらく「若い世界」の演奏はスタジオ・プレイヤーによるものと推測されます。岡崎友紀「風に乗って」は、寺川正興です。イントロでエレベーター奏法が炸裂しています。 文字数の関係で特徴を細かく説明できませんでしたが、ザ・カルア「しあわせの訪れ」と、トワ・エ・モワ「しあわせが通りすぎないうちに」は鈴木淳、つなき&みどり「いつか何処か

で」は武部秀明でしょう。悩んだのはオフコース「おさらば」。当時は、小林和行がベーシストとして参加していましたが、このベースはあきらかにスタジオ・プレイヤーによるものです。歪み具合やオクターブのフレーズからロック畑のベーシストっぽいのですが、時たま入れる3連のフレーズからはジャズの芳香が漂います。少ない手がかりから推測する、まるでミステリ小説の犯人当てのようです。これからも、推測の日々は続きそうです。 (ガモウユウイチ=音楽ライター/ベーシスト)

最初の発売から何十年も経過したレコードを再び市場に送り出す事はレコード会社にとって容易ではない。ただ単に〝いいレコード〟といった理由ではまず発売には至らない。ビートルズやローリング・ストーンズ等時空を超えて訴求できるごく少数を除いて、多くのアーティストは彼らの全数のCDをいつでも買える状態にできていない。要はほとんどのレコード(CD)
は発売から5年もすれば製造中止又は廃盤になり市場から消える。そのような現状にあって廃盤アルバムを再び世に出せるきっかけは、レーベル移動による基本カタログの整備、アーティストの久々のヒット、○周年、来日、死去、曲がCMで使われた等急激な需要の上昇、そして最も大きなものとして、熱心なリスナーや関係者からの再発要望がある。本来レコード会社はそうい
うマーケットからの需要を真摯に受け止め音楽ファンに音楽を届ける使命を持っている、と私は考える。 ワーナーミュージック・ジャパンはその昔ワーナー・パイオニア時代の1970年代最後期に『ワーナー名盤復活シリーズ』という再発のキャンペーンを始め、ジョン・サイモン、フィフス・アヴァニュー・バンド、ボビー・チャールズ他日本盤として出ていなかった〝幻の名盤〟を紹介した。98年にはCD化が遅れていた70年代のポップ、ロック、フォークの名盤をCDにして次々と音楽マニアのもとに届けた。シリーズ名は『名盤探険隊』。レコード会社とユーザーが一体となって未知なる名盤を探し出す冒険の旅だった。エンヤ、マドンナ、エリック・クラプトンといった新譜を担当していた私は、このシリー
ズには一切関係せず、趣味に生きるオトナ達の楽しげな遠足を横目で見ていた。それから早15年。時は来た。私はカタログ再発担当となりこれら諸先輩方が切り開いた名盤復刻シリーズのスピリットを継承して『新・名盤探険隊』をスタートさせた。これは前シリーズ同様70年代のロック黄金時代にリリースされた名盤を中心にCDで復活させるもので、オリジナル『名盤探険隊』作品(現在廃盤)と、今回が日本初/世界初という混成部隊。いずれにせよ2013年の現在でも鑑賞に堪えうる作品のみをジャンル、時代を広げて紹介するもの。特筆すべき点は4点。①すべて本年リマスターを施された現在の肥えた耳にも十分堪えられる音質。残念ながら90年代のリマスターはしょぼくてつらい。②著名音楽ライターによる
新規書き下ろしライナーノーツ。原則過去の作品に添付されていた解説の流用はしない。40年近く前の作品でも現代的視点が欠如した解説はあくまで〝新譜〟としてリリースされる本シリーズには不適切。③歌詞及び対訳付。本シリーズはシンガー・ソングライター作品が多いため必須。④1200円(税込)という魅力的価格。一枚でも多く、一人でも多くの方に買っていただくための身を切る太っ腹価格。『新・名盤探険隊』は4月10日に第一弾21枚が発売、以降毎月6から10枚ずつを予定。今回もレコ崎レコ郎、ハカセ、レコガシラくんら3人の探険隊員がイメージ・キャラクターとなり本シリーズを盛り上げます。いざ、〝名盤の深い森〟に向かって出発! (宮治淳一=ワーナーミュージック・ジャパン)
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寺山修司さんが亡くなってから、30年が経つそうです。今20代の僕が通っていた大学では、アングラ演劇出身の教授が「芸術論」を教えていました。ほかにも「学生運動の歴史」の講師が、どうも全学連の生き残りらしかったり。アングラ演劇や学生運動を、大学の広くて、明るくて、小奇麗な教室で学ぶのです。そこはちょっとした異空間で、肉体的にも精神的にもバトルを辞さなかったあの時代

の残り香を感じてはビビっておりました。 寺山修司さんと言えば、詩人、俳人、劇団「天井桟敷」の主宰であると同時に、「家出のすすめ」を著して学生たちを挑発していた、反抗する若者たちの元締めのような人だと思っていま
した。遺された作品に感じるギラギラしたカミソリのような鋭さは、〝リベラルになった大学〟に飼い慣らされた学生にとって、恐いなんてもんじゃありません。そんな寺山さんの思想に感化され、本当に大学を飛び出した友人もいましたが、正直僕はバカだと思いました。それこそ膨大な著作がある寺山さんのほんの一部を知っただけでなぜそこまでできるのか、と。偉大な人だとわかっているからこそ、どこから理解したらいいのかまるきりつかめなかったのです。 今回洋泉社から出版されたムック「寺山修司の迷宮世界」はそんな悩める現代の学生にはもってこいのガイドブックになるかもしれません。詩、俳句、演劇から、歌謡曲、写真、競馬予想まで、いわゆる「マルチタレント」になることを拒
否しながら各方面で活躍した寺山さんの仕事のすべてを全方位から検証しようという1冊です。「天井桟敷」本公演34作の全解説や、テレビ、ラジオへのシナリオ執筆リストは後追いの世代には本当にありがたい資料です。もうひとつ目を引いたのは189冊にも及ぶ全著作リストで、刺激的なタイトルを並べて見ているだけども楽しいですし、気になったタイトルを覚えておいて、古本屋さんへ出かけることもできます。そして寺山さんと共に作品を作っていた方々の話――森崎偏陸さん、萩原朔美さんが長編映画、実験映画の解説を書かれていたり、横尾忠則さんが自作のポスターに一言ずつ解説を寄せていたり、劇団の結成当時を穏やかに回想されているのを読んでいると、皆さんが気軽に手招きをしているようで、そ
れまで感じていた敷居の高さがスッと消えていきます。 さて、生まれたときには既に世を去っていた寺山さんと自分の接点を探っていて思い出したことがあります。僕が美術雑誌の編集部にいたころ、横尾さんが誌面に出てくださったことがありました。もちろん下働きの僕は取材には行けませんでしたが、あの時代と自分の人生がようやく繋がったように思えてとても嬉しかったものです。寺山さんの遺した仕事や想いを探るときは誰でも、きっとそれぞれの想い出を手探りで掘り起こすことになるのではないでしょうか。 (真鍋新一=編集者見習い) ーーーーーーーーーーーー ■洋泉社MOOK「寺山修司の迷宮世界」監修・笹目浩之 ■A4変・128ページ ■洋泉社より税込1680円で発売中

わたしのここ数年のライフワークとなっている原田真二アーカイブ。昨夏のCDボックスに続いて今年は近代映画の記事をまとめた復刻本を制作、「原田真二デラックス」として4月1日より専用サイトと一部ライブ会場で限定発売される。 同書には過去の近代映画に掲載された原田真二関連の記事がすべて復刻されるため、制作にあたりまずは70年代後半に発売された近代映画のバックナンバーのチェックからスタート。雑
誌の隅々まで精査していく過程のなか、大掃除のときの古新聞のごとく、関係のない記事に気を取られてしまい、気持ちは一気に小学生時代にタイムトラベルしてしまった。ちなみに原田真二の記事は「てぃーんずぶるーす」などのシングルをヒットさせ、一躍トップアイドルに上り詰めた78年に集中しており、復刻本の大半がこの1年間の記事で占められる。その12冊を重点的にチェックしていたのだが、ページをめくるたび
に78年がいかに話題に溢れ、エポックな年であったことを思い知らされた。 78年といえば、「ザ・ベストテン」がスタートした年。この番組をきっかけにヒットチャートの概念が広く浸透し、それにより音楽ファンの年齢層が下がり、シングルヒットのジャンルレス化を推進していったことが、近代映画の誌面から顕著にうかがえる。この年4月に解散したキャンディーズと入れ替わるように石野真子や榊原郁恵、大場久美子といった十代のアイドルが誌面を賑わせ、水着写真が急増。そういえば自分が初めて部屋に貼ったポスターは石野真子だった。 そして、サザンがデビューして矢沢永吉が「時間よとまれ」でブレイクしたのもこの年の夏。ロック御三家の活躍もあり、アイドル誌にロック系のアーティス
トの記事が増えていく。 この時期、アイドルシーンの本流として人気を博しているのは山口百恵と郷ひろみ。山口百恵のページはほとんどが三浦友和とのツーショットで、この時点ではまだ交際宣言をしていないにもかかわらず、映画のパブリシティで堂々と仲睦まじいところを見せている。 一方の郷ひろみは主演ドラマ「ムー一族」が人気。当時、久世光彦ドラマとは知らずとも、子どもながらにこのドラマの先進性を肌で感じ、毎週楽しみにしていた。岸本加世子や桂木文の紹介記事でも「ムー一族」が取り上げられ、人気の度合いを知ることができる。 78年は紅白のトリを史上初で演歌以外の歌手、沢田研二と山口百恵が務めたことで話題になった。また原田真二や渡辺真知子などのニューミュージック系のア
ーティストがこぞって出場したことも、新しい音楽シーンの到来を感じさせた。たかがアイドル誌、されどアイドル誌。その誌面には時代の空気が充満しており、今もその魅力を雄弁に物語る。そして改めて自分の歴史意識を気づかせる。 70年代と80年代を繋げる重要な役割を果たした78年。それを象徴する存在が原田真二だったと、「原田真二デラックス」を作って強く感じる。もっと正当な評価なり、研究がなされてもいいのはないか。そういったことを危惧しつつ自分の原田真二アーカイブはこれからも続く。 (竹部吉晃=編集者/ライター) ーーーーーーーーーーーー 「原田真二 デラックスブック」価格:5000円(税込)+送料/詳細と注文はこちらのHPから。
ロジャー・ニコルス&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズの独占インタビュー動画、後半です。「奇跡のセカンド」と評された40年振りの再結成セカンド・アルバム『フル・サークル』の制作逸話、そして今秋発売されるサード・アルバム『マイ・ハート・イズ・ホーム』について語っています。また、ジャズに根ざした彼らの音楽的ルーツや「ロジャーの作品で一番好きな曲」といった興味深い話題も語っています。余談ですが、日本から送られた質問状をロジャーが代読し、皆が答える、というインタビューとなったため、ロジャーが司会進行役を兼ねる形になっています。アルバムに収められた美しいハーモニー同様、ここでも息の合った3人のやりとりをお楽しみ下さい。 (文・編集部)
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評価が本国と日本で著しく違っている50年代から70年代にかけて活躍したアメリカの作曲家の筆頭にあがるのはロジャー・ニコルスだろう。とはいえ、アメリカでの評価が低いのではなく、むしろ日本でのものが突出して高いぶん故の違いだろう。アメリカでは常に僚友ポール・ウィリアムスとセットになって、かつほ
とんどの場合カーペンターズが語られるときに登場する程度だが、日本では何度となく雑誌で取り上げられ、作品を集めたCDがリリースされるほど人気は高い。 70年代から80年代にかけて、リーバー&ストーラー、バート・バカラック、キャロル・キング、バリー・マン、エリー・グリーンウィッチ、といった作家群が日
本のポップス愛好家によって研究の対象になったが、ニコルスは68年発表の自らのアルバム『ロジャー・ニコルス&ザ・スモール・サークルズ・オブ・フレンズ』が87年日本において初めてCD化されるまで一部の強力なマニアに知られるのみだった。それまでニコルス自身のレコードは日本ではLPはおろかシングルも発売になっていない。作家としてクローズアップされた事もなく、すべてこのアルバムが世に出て20年後、溜まっていた水が一気に溢れ出るような勢いでSCOF及びニコルスの作品が脚光を浴びた。自身のアルバムが1枚、作品の数もそれほど多くはないにもかかわらず多くのポップス少年、少女を魅了した。 最新アルバム『マイ・ハート・イズ・ホーム』が届いた。相変わらずのニコル

ス節が堪能できる作品群は素晴らしい。曲そのものがいい事が何よりだ。これだけの曲を書ける作家が何年も一線で活躍しなかったことを不思議に思う。かえって浪費されなかったことがいまでも魅力的な曲を作り出せる背景にあるのかもしれない。 何年かぶりにこの3人のブレンドされたハーモニー
を聞いてみると、他では決して味わえないSCOF最大の魅力がこの綿菓子のようにフワフワしながらも一つになっている「魔法のかたまり」であることが改めてわかる。ジェントルというのはこのようなものを形容するときに使うべきなのだろう。 その昔ネスカフェのCMソングとして書かれた「ワン・ワールド・オブ・ユー・アンド・ミー」の透明感と力強さ両面を備えたコーラスは彼らの真骨頂である。名曲「ラヴ・ソー・ファイン」でおなじみの紅一点メリンダの声は相変わらず愛らしく魅力的でサウンドに華を添えている。スウィンギーな「ムーン・イズ・レッド」は、彼らの本格的な4ビートにのったジャズ的コーラス・ワークをさらに聞いてみたくなる。 ハート・ウォーミングで

イノセントな唯一無二のハーモニー、絶滅危惧種というべき珠玉のミドル・オブ・ザ・ロードがデビュー後45年たっても新録音で聞ける事に深く感謝したい。きっと21世紀の少年少女を魅了するだろう。 ︵宮治淳一=音楽資料館『ブランディン』管理人︶ ーーーーーーーーーーーー ●ロジャー・ニコルス&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ「マイ・ハート・イズ・ホーム」発売・ビクターエンターテインメント/11月28日発売/紙ジャケット仕様/高音質K2HD+HQCD盤

――本日は、ここ10年間に雑誌に寄稿した原稿やライナーノーツの文章などを集めた本「なんとかと なんとかがいた なんとかズ」(プレスポップ)を出版される、ロック漫筆家、安田謙一さんにお話をお聞きいたします。まず最初に、なぜ、今、こういう本を出そうと思われたのですか? 安田 パッケージメディアがいつ無くなってもおかしくないような状況の中、パッケージ流通が健全なうち
にこういう形で「ベスト」というものを出しておかなければならないんじゃという一種の危機感、切迫感があったんです。 ――それって、まんま山下達郎が『OPUS』に寄せたインタビュー発言じゃないですか? 安田 ええ、そうです。まんまです。 ――表紙を坂本慎太郎さんが手がけてらっしゃいますね。 安田 ゆらゆら帝国の、今

にして思えば、最後のツアーで大阪に来られた時に楽屋で「次の本の表紙を描いてください」とお願いしたのを律儀に覚えていてくださいました。 ――図案は安田さんからのリクエストですか? 安田 いえ。書名だけ伝えて、それに対する完璧な坂本さんのリアクションです。表紙だけの為に買っても損はない、と思います。文章は模様だと思ってください。 ――ペーパーバックで軽い
ですが、464頁というヴォリュームは凄いですね。 安田 世にはびこる断捨離ムードに立ち向かっています。 ――この10年は安田さんにとってどんな時代でしたか? 安田 ちょうど前の仕事を辞めて、フリーになって、ロック漫筆家と名乗って文章を書いた時期です。おっ、これで食えるんだ、と思った時代を経て、やっぱり食えんわな、と気づかされる、
そんな10年でした。 ――一冊目の「ピントがボケる音」(国書刊行会)と一番の違いは。 安田 今回は原稿をすべて自分でチョイスしました。短いものを含めて、全部で3000ほど書きましたが、そのうちの、最初は1000に絞って、さらに300強という数に落ち着きました。 ――本になったものを読んで、どんな感想をお持ちですか? 安田 よく(世に)出たな、という気持ちもありますが、いつも、こういう風にまとめよう、と思ってもいました。この時勢、いろんな意味で特殊な本だと思いますが、こういうモノが好きな人は責任を持って買ってください。よろしくお願いいたします。 (インタビュー構成=週刊 不老不死編集部)
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