戦後わずか数年、未だ復興への途を辿っていた頃の日本人にとって、「テネシー・ワルツ」がどれほど重要な曲であったか。その時代を生きてきた人々の証言をこれまで幾度となく聴かされてきた。それも本国のパティ・ペイジやジョー・スタッフォード以上に、新人歌手・江利チエミの歌声
が大衆に安らぎをもたらし、英語と日本語で構成された「テネシー・ワルツ」のレコードは当時二十万枚を売り上げて大ヒットとなる。 チエミはバンドマンの父と、浅草の軽演劇女優の母との間に生まれた末娘であった。父・久保益雄は柳家三亀松の伴奏者として活躍したことでも知られるから、
根っからの芸人育ちである。後に出演した映画の画面などからもどことなく漂う彼女の気風のよさは、そうした環境によって育まれたものであったろう。同い年の美空ひばり、雪村いづみと共に〝三人娘〟と呼ばれて人気を得てからも、おそらく彼女が常に三人を束ねる良きムードメーカー的存在だったと思われる。歌手としては先輩のひばりも、チエミの人間性にはきっと一目置いていたに違いない。 キングレコードのテストに合格したチエミが、予てからの希望で吹き込んだのが「テネシー・ワルツ」で
あり、新人であるにも拘らず、デビュー曲については頑として譲らなかったという。結局はそれを受け入れたレコード会社の柔軟な姿勢が功を奏して、一世一代の名唱が生まれることとなった。その後も流行歌のフィーリングを採り入れつつポピュラーを歌い続けた彼女は、「スイング・ジャーナル」誌の人気投票で昭和二九年から四年間連続で女性ヴォーカル部門の一位に輝くなど、ジャズ歌手としての高い評価を得る。それに続けとばかりに雪村いづみが「想い出のワルツ」でデビュー・ヒットを飾り、ひばりもふたりに触発された形で頻繁にジャズを歌うようになったのだった。 これまでにもチエミの作品集は数多く編まれてきたが、今回は洋楽編、邦楽編と分けられ、それぞれ五枚組のボックス仕様での発売
が特徴。ジャンルをきっちり系統立てた上で歌手・江利チエミの足跡を振り返る復刻である。洋楽編では、昭和二八年の初渡米以来交流を深めたデルタ・リズム・ボーイズとの共演が優れもの。殊に英語と歌を指導したリード・テナーのカール・ジョーンズは、チエミが師と仰ぐ存在であった。もちろん、東京キューバン・ボーイズやシャープス・
アンド・フラッツらをバックに吹き込まれた、得意のラテンやポピュラー・ナンバーもふんだんに。 邦楽編では後年のオリジナル・ヒットを筆頭に、抜群のジャズ・フィーリングで歌われる民謡や俗謡、哀愁に満ちた抒情歌や歌謡曲のカヴァーなど、実は彼女の本質であろうドメスティックでウエットな世界に誘われる。ジャズ・ポピュラーを聴いた後で、ぜひ濃密に味わって戴きたい。彼女の歌をとことん聴きこんでいくと、最終的にはこの辺りの凄さに気づかされることは必至なのだ。 戦前の川畑文子にはじまり、ベティ稲田、ナンシー梅木と連なる日本の女性ジャズ・ヴォーカリストの系譜において、なんといっても戦後最高のスターは江利チエミである。日本のミュージカルを開拓したといわ
| れる舞台『マイ・フェア・レディ』や、数々の映画作品など、エンターテイナーと呼ぶに相応しい活躍を遂げた彼女であったが、この世に別れを告げたのがあまりにも早過ぎた。生命力に満ちた素晴しい歌を聴けば聴くほど、当り役のサザエさんを地でゆくような明る さでもっと芸能界を照らし続けて欲しかったとつくづく思ってしまう。 彼女が逝って早や三十年となる今年は、奇しくも生誕七十五周年、デビュー六十周年のメモリアルイヤーにあたる。 ︵鈴木啓之=アーカイヴァー︶ |
トッド・ラングレン紙ジャケ再発記念対談 川口法博×大久達朗×戸里輝夫
続・それでもトッドが好き!
「月刊てりとりぃ」#24にて掲載された、ポップ・オタクを自認する川口/大久/戸里によるトッド・ラングレン対談。掲載されたのはホンの一部であって、実はトッド談義はその後も延々と華が咲いたのでした。ここでその一部を紹介(聞き手/戸里輝夫)。 * 大久 ダリル・ホールの番組「ダリルズ・ハウス」でのトッドと共演もそうなんですけど、なんで2人は今も仲いいんでしょうね。XTCの件はともかく、トッ
ドって元々友達付き合いが下手そうな人なんですけどね(動画は同番組で「アイ・ソー・ザ・ライト」を歌う2人)。人付き合いが下手だから『ア・カペラ』みたいなのを作ったのかな、とか想像したり。 川口 僕はずっと『ア・カペラ』が一番好きなんですね。あのアルバム、声だけで作られた、って事で説明されて終わる事が多いですけど、実は曲のクオリティーも最高峰じゃないですか。トッド流R&Bのベスト・ソングがたっぷり入ってる。そして初期からのファンには「サムシング・トゥ・フォール・バック・オン」というとっておきのポップ・ソングもあるし。ちなみにこの曲は歌詞もとてもいい。なんとなく「ラヴ・オブ・ザ・コモン・マン」の続編という感じで、こういう「さあ!殻に閉じこもって
ないで出ておいで!みんなキミを待ってるんだよ!」的な歌詞は、トッドの本質的人間愛を感じるなあ。実際会うと皮肉屋なんだろうけど(笑)。 --そういえばあまりトッドの「人間性」が語られる機会はないですよね。職人肌だから、という点もあると思いますが。 川口 ある程度音楽オタクになると、どこかで必ずぶつかる存在だという感じはしますよね。ひねくれポップとかビートルズ方面極める人だったら必ずどこかでトッドに行き着いちゃう。で、聴くと極上の美メロだ
から、一枚じゃ済まなくなる。そうでなくてもFMとか流していれば「アイ・ソー・ザ・ライト」なんて定番中の定番でプレイされるから、あれ聴いてCD屋に駆け込んだり、アマゾンでポチっとする人はいつの時代も一定数いるんじゃないでしょうか。で、そこからズブズブと深みに」 大久 そういえばボサノヴァのアルバムもありますよね(97年のセルフ・カヴァー盤『ウィズ・ア・ツイスト』のこと/動画は同作のプロモのためテレビ出演し
たときの演奏)。あれは皆異口同音にスゴい良かった、って言いますよね。僕もそれには同感なんです。アコースティックだからある意味素っ気ない面もあるんですけど、なんだ、やれば出来るじゃん、トッド、みたいな印象がありますね。 川口 ただ、トッド一流の「汲めども尽きぬメロディーの泉」は『ニアリー・ヒューマン』で、もっと言うと「パラレル・ラインズ」(右下の動画は90年の同曲のライヴ)が最後だったように思いますね。 大久 トッドのメロディーが日本人向き、と前に言いましたけど、ブルースの臭い、というかブルース的なメロディーの着地点とは離れてる、っていうことはあるのかもしれませんね。同じメロディーメイカーとして比べたときに、ポール・マッカートニーの場合はそ
の「ブルース的な着地点」がいつもある、っていう風に僕は感じるんですよ。もちろんトッドの曲は十分にソウルフルなんですが、たとえばアトランティック・ソウルの楽曲とか、メチャクチャにメロディアスなノーザン・ソウルの曲なんかとはその部分が決定的に違うな、と。 --トッドのミックスしたサウンドの特徴を、こもって奥行きが無くて中域ばっかり強調された、とおっしゃってましたが、具体的にはどういうイメージをされ
ていますか? 川口 フィル・スペクター的な感じというか… フィル・スペクターの音も音質的にはひどいもんね。「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」とか(笑)。トッドも初期~中期はまだ分離がよくてヌケのいい音だったけど、ユートピア中期以降はペラッペラでレンジが狭くて、ホントひどい音。「リシストラータ」とか「ユー・メイク・ミー・クレイジー」とか、音が悪いだけじゃなくてノイズがブチ!なんて入ってる。なんでこのノイズ取らなかったのよ!ってくらい。でも、そんなテキトーなミックスの音がつい聴きたくなるという不思議。 大久 麻薬的だと(笑)。僕はそれほど「悪い音」と思ったことはないんですよ。いつも古くさい音源ばかり訊いてるせいかもしれませ
んが。ただいつも思うのはダンゴになり過ぎなんですよね。『フェイスフル』に収録されてる「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」のカヴァーなんてビートルズよりも昔の録音なんじゃねえの?って思っちゃうくらいで、だから楽器の演奏にはそれほど耳が行かない。それはもしかしたらヴォーカルを生かしたいっていうトッドの狙いなのかもしれませんね。 川口 『フェイスフル』は大好きだけど、実はあと一歩のところで詰めが甘いと
ころがトッドらしいなと。音質も原曲に似せてるようで実は結構違うし、そこまでアレンジ詰めといてなんでそこ原曲通りのフィルじゃないの?なんでそこ生弦じゃないの?なんて箇所が随所にあって、アメリカ人らしいテキトーさをあらためて感じます。ま、そのテキトーさというか短気さが音に勢いを与えてるんだと思います。 大久 もっと別の例で言えば、ニューヨーク・ドールズ(2作品をトッドがプロデュース)なんかは、仮にトニー・ヴィスコンティとかポール・マッカートニーとか、もしくはブライアン・イーノがプロデュースしてたら、当然ですけどバンドの結果/評価は違ったモノになったと考えることもありますね。あと、パティー・スミスの『ウェイヴ』(79年のトッド・プロデュ
ース作品)が好きっていう人も結構いますけど、やっぱホンネを言えば、最初のアルバム(75年のデビュー盤『ホーセズ』。ジョン・ケイルのプロデュース)にはさすがにかわなねえよなぁ、とか(笑)。 川口 それはやっぱり、本質が「芸術」じゃなくて「芸能」の人だからじゃないでしょうか。「この曲はシングル向きだ」ってトッドが一度決めると、それはもう徹底的に歌謡曲みたいにポップに仕上げるじゃないですか(右の動画は73年
のTV番組「ミッドナイト・スペシャル」で「ハロー・イッツ・ミー」を披露するトッド。この模様は日本編集盤『ハロー・イッツ・ミー』のジャケットで写真が使用されたことで有名)。パティー・スミス「フレデリック」もサイケデリック・ファーズ「ラヴ・マイ・ウェイ」もチューブス「プライム・タイム」も高野寛「べステン・ダンク」も、イントロで全部トッドってわかる。もう、芸能!歌謡曲!って感じ。「俺がやる以上は音楽マニアのためだけの音楽にはしねーからな!」という意思が伝わってくるんですよ。ブライアン・イーノだったら本格路線、ミシュラン三ツ星レストランになるかもしれないけど、トッドはB級グルメのおいしさというか(笑)。ま、僕としてはB級グルメを選んじゃいますね。
|