2013年1月11日(金)

ヒトコト劇場 #17
[桜井順×古川タク]






チャールス・ロイド・ライブ・イン・ブルーノート東京

 2013年1月4日、ジャズ・サックス・プレイヤー、チャールス・ロイドのライブに行ってきた。
 チャールス・ロイドは60年代前半から50年以上に渡り、今も現役で活動を続ける数少ないジャズ・レジェンドの一人。66年にリリースされたアルバム『フォレスト・フラワー』(アトランティック)は、ジャズ・シーンでは異例のミリオンセラーを記録する大ヒット、当時アメリカの若者たちの間で流行していたヒッピー文化を象徴する存在となり、

ジャズ・ファン以外にも、その名前を知られるようになった。そんな時代のスポット・ライトを浴びたロイドだが、89年からはドイツの名門ECMに腰を落ち着け、コンスタントに素晴らしい作品を発表している。
 午後5時過ぎ、ほぼ定刻にカルテットのメンバーを引き連れて登場、長身に似合うグレーのスーツにサングラス、赤いマフラー、ベレー帽という、ロイドお馴染みの姿で、ゆっくりとテナー・サックスに手をかけると、60年代のジョン・コ

ルトレーンに代表されるブレスを効果的に使った音色、舌の奥でリードをタンギングするスタイルで静かに演奏がスタート、オープニングは93年のアルバム『ザ・コール』に収録されていたスピリチュアルなバラード「ザ・ブレッシング」だ。
 今回の来日メンバーは、ジェイソン・モラン(P)、リューベン・ロジャース(b)、エリック・ハーランド(ds)という07年から活動を共にしているカルテット。全員30代という演

奏家として最初のピークを迎えるニューヨークの精鋭たち。ロイドは自分のソロが終わると、ピアノの横に置かれた椅子に静かに腰掛け、じっくりと他のメンバーたちの演奏に耳を傾ける。まるで観客の一人となってライブを楽しむように。
 やがて演奏を締めくくるために再びマイクの前に立つと、ピアノのジェイソン・モランと共にコーダに入り、どこかで聴きなれたメロディが。なんとザ・ビーチ・ボーイズの名曲「神のみぞ知る」。70年代、ロイドはザ・ビーチ・ボーイズのアルバムやツアーに参加するなど、少なからず縁があるのだ。また現在のカルテットで10年に録音されたアルバム『ミラー』では、同じくブライアン・ウィルソンの名曲「キャロライン・ノー」をカヴァー、ロイドによって極上のスタンダ

ード・ジャズに生まれ変わっている。
 ライブ・セットは全6曲、アンコールはやはり「キャロライン・ノー」。まるで昨年デビュー50周年を迎えた彼らを祝福するような演奏で締めくくった。
 今年ロイドは75歳、2月にはその記念作品として、ジェイソン・モランとのデュオによる新作が予定されている。今回の来日公演は、ロイドの長いキャリアの中でも、今まさにピークを迎えようとしている自信と風格を感じさせる内容だった。
(土屋光弘=ラジオ番組制作者)
Photo:Takuo Sato 写真提供:ブルーノート東京



新春特別放談 ──「女性アイドルを語ろう」番外編・Part 1
【馬飼野元宏 X 川口法博 X 大久達朗】

 「月刊てりとりぃ」第34号に掲載された「女性アイドルを語ろう」対談。「リスナー目線」に徹底した3人の語らいは、一度始まれば尽きる事無く膨大な量となりました。ここでは「月刊」に掲載できなかったその対談の続編を2週にわたって掲載。話が進むにつれ、圧倒的な分析力と情報量、そして愛情を持つ馬飼野氏に、大久・川口の2人が氏のスタンスを伺う、という趣きになっているのもご愛嬌。(文責・編集部)

大久 では早速「南沙織の呪縛」に関して(笑)語っていただけますか?
馬飼野 僕が6歳の時「17才」から4曲目の「純潔」までは完全に歌えたんですよ。でも「哀愁のページ」は覚えられなかった。セブンスとか洒落たことやってるのでメロディーが頭に入らなかったこともありますが、冒頭の英語のセリフが何を言っているのかわからなくて、親にねだってレコードを買ってもらった。そこからです。つまりアイド

ルとはアイドル歌手であり、ファンになったからにはその歌を覚えなくちゃ、と刷り込まれた瞬間です。
大久 あ、もう最初っから「コンプリート」の宿命を覚悟した、と。それは恐ろしい6歳の少年ですね。
馬飼野 売れなくなっても最後まで付き合うってのも彼女の呪縛。南沙織って最初は小柳ルミ子と天地真理と「3人娘売り」だったじゃないですか? この3人のうちどれを引くかで、その後の人生が変わっただろうな、と(笑)。もしあの時天地真理を引いていたら、俺は今頃どんな人生を歩ん

でいただろう。
川口  もし小柳ルミ子を引いてたらナベプロ的なもの、平尾昌晃研究的なものへと繋がっていったかも(笑)。研究対象としてはそれはそれで面白かったような。
馬飼野 南沙織は引退までお付き合いしました。アルバムはもちろん、半年に1枚出るベスト盤も全部。売れなくなったり曲がつまらなくなってきても「いや、今回のは売れるかもしれない」といいところを必死に探したりして。
川口   好きになったら最後まで、は基本でしょう。絶対そうしろとは言わないけど、そういう経験を一度でもしないと、物事を徹底的に見極める体質が身につかないと思う。いいところを探して聴くようにしてると、本当にいいところに気づく時もあるし。
大久 他には、そういうコ

ンプリートの義務を感じたようなアイドルは?
馬飼野 桜田淳子や安西マリア、金井夕子、それから中原理恵も。途中でやめちゃったのは太田裕美ですね。あのー、音楽性で付き合い方が左右されることはないんだけど、太田裕美は歌い方まで変えちゃって。髪逆立ててテクノポップとかやり始めてから「ごめん、もう付き合えない」と(笑)。そう考えると、アイドルのファンって音楽のジャンルより髪型が変わるほうが戸惑うんじゃないかな。
大久 その話で思い出したのは、やっぱり「聖子ちゃ

んカット」のことですね。彼女がショートにした時、それまでの男性ファンはあの髪型にポカーンとしたんですよね。でも「聖子なんてブリッコじゃん」と表面上手厳しい評価を口にしていた女性層が、掌を返すように新しい髪型を評価したんですよね。
川口   あれはそれまで聖子ファンを公言できなかっ

た女性に、口実を与えましたよね。「べ、べつに歌とか好きなわけじゃないんだからねっ、あの髪型がいいなと思っただけなんだからねっ」みたいな(笑)。
馬飼野 そうでしたねえ。ファンの入れ替わりという意味では、太田裕美って何度もファンを振り落としてるんですよ。松本隆から離れてファンが減り、サトウハチローの詞だけでアルバム1枚作ってみてポップスから遠ざかったり、最後の局面がNY行ってからのテクノ。だからそれらを乗り越えた人だけが真の太田裕美ファン、なんでしょうね。
川口  ほとんどのアイドルの歴史はイメチェンの歴史、ですよね。
大久 「月刊」の対談でも「無茶」というテーマが出ましたが、イメージチェンジって難しいですよねえ。
馬飼野 やはり「無茶」で

思い出すのは、菊池桃子のラ・ムーと、本田美奈子のワイルドキャッツ。アイドルに自意識が出てきたりすると、たいてい音楽に反映してくる。それがどう見ても「違うだろう」という時、ファンは「いつ気づくんだろうな〜」と思ってハラハラしながら見守ってたと思います。この「見守る」って感じがアイドル独特なん

ですよね。
川口  当時「歌のトップ10」でラ・ムー観ながら「これ、どう着地させんだろう」と本気で心配になりましたもん。ハラハラというより、エヴァ19話「男の戦い」の緊張感に近いものがありますね。しかもラ・ムーの場合、あんなファンキーで歌いにくい曲、絶対本人の意志じゃないし、まさに無理矢理ラ・ムーっていうエヴァに乗せられたチルドレンというか(笑)。
馬飼野 この言い方は誤解を招きそうですが、もし松浦亜弥がバラードばっかり歌い出したら、止める術はないけど「いや、それは」とは言いたくなる。太田裕美のテクノ路線にしても「ごめん、それだったら本物のテクノ聴くよ」ってことだと思う。でも、ファンは見守る。だからアイドルポップスって微妙な場所に

ある。本物には叶わないけど、キラキラした華やかさは、本物にはない、彼女たちだけの真実なわけです。
大久 そうですね。もの凄く納得できます。男性の例ですが、吉川晃司なんかはデビュー時からそのふたつの間の葛藤を見せてましたよね。佐野元春を尊敬してるけど、原色スーツ着てデジタルなダンス・サウンドを歌う、みたいな。
馬飼野 岩崎宏美だって、最初から本格派でやってたら今は高橋真梨子みたいになってたかもしれない。でも最初から本格派だと売れなかっただろうな、という

のも同時にある。
川口   余談ですが、今の時代にピンのアイドルでヒロリン級の歌唱力の子がいたら、それだけで相当話題になるでしょうね。ところがいないんだよなあ。
馬飼野 以前川口さんが言ってたように、70年代のアイドルは最初から一流と二流とキワモノが分かれてたような気がします。つまり、麻丘めぐみや山口百恵と、谷ちえこやしのづかまゆみは別物ですよね(笑)。でもキワモノ側からでかいタマが生まれる場合もあって、最大の例がピンク・レディーですよね。(つづく)

【ジャケット写真・上から】南沙織「哀愁のページ」(72年9月)。作・編曲は筒美京平。イントロでエレピの響きに乗せた英語のモノローグが印象的な、メロウ・フォーク。 太田裕美の84年のアルバム『TAMATEBAKO』は、テクノ歌謡ファンにはお馴染みの1枚。「青い実の瞳」はシングル発売もされた同作収録曲。 松田聖子「夏の扉」(81年4月)のジャケでは完璧な“聖子ちゃんカット”を披露。 聖子がショートカットにしたのは「赤いスイートピー」(82年1月)からだが、同曲のジャケはまだ長い髪をアップにしたもの。スリーヴでショートを披露したのは「渚のバルコニー」(82年4月)から。 菊地桃子のバンド活動=ラ・ムーの第1弾シングル「愛は心の仕事です」(88年2月)は、パワーステーション・サウンドを大胆に取り入れたエレクトロ・ファンク。 本田美奈子のバンド活動=MINAKO WITH WILDCATS「あなたと、熱帯」(88年7月)。作曲は忌野清志郎。 岩崎宏美「ロマンス」(75年7月)。セカンド・シングルにあたり、彼女の最大のヒット曲となった。同曲で同年のレコード大賞新人賞を獲得。 ピンク・レディー「ペッパー警部」(76年8月)はデビュー曲&同年のレコード大賞新人賞受賞曲。近年はモー娘のカヴァーでも知られるが、石川さゆりも99年に同曲をカヴァー。